ポストファクト

デマや嘘のニュースに対処できない。

Facebookでそれが広まることによってトランプ大統領が誕生したというのは、本当だろうか。

真実よりも感覚が優先される環境をFacebookが作っているというのだ。

Facebookの問題というよりも、人間の習性なのだろう。真実を証明することは簡単ではない。そして、歴史は書く人によって作り上げられてきた。それを当たり前の様に信じている。

共通の幻想を抱いて生きている、そのことを全て否定すると、自分の立ち位置さえ無くしてしまう。幻想のまま生きる方が容易い。

しかし、まだ真実が証明するだろうと楽観的にとらえている。

自分だけ良くなりたいという隠しようのない人間の本性のまま生きていくというのか。

世界の人たちは。一歩たりとも譲らないというのか?

バレエ

スポーツクラブのスタジオプログラムでバレエを始めて6カ月。

今年年初から始めたので計算しやすい。

思う通りには行かない。体はいうことをきかない。

しかし、なぜかとてもワクワクする。

老化で整形外科に通う代わりに、バレエレッスンをする。

1年続けることができたらレオタードなどを買ってみよう。

思ったほど体形が改善されるわけでもない。

経験者を見ると『これがバレエだなあ』とちょっと悲しくなる。

毎日朝晩ささやかな柔軟体操をする。体が柔らかくなっているか微妙だ。

確実にあちこち痛い。

出てくる言葉はフランス語?前にフランス語習ったなあ。本当にすっかり忘れてる。

血圧も上がっている。低いと思っていた血圧も動いていなかっただけだった。

プログラムの前に毎回測るが、適度血圧になっている。

わずか週1回50分のプログラムだから実際にはバレエをやっている時間はほんの少し30分もない。

伸ばそうとしている髪も夏に向かって大変だ。

でも、なんといってもワクワクする。久しぶりだこの気持ち。

毎日掃除をしようと思わせてくれる。体を動かすことがうれしいのだ。

もう少し続けよう。

 

フェルドマン博士の日本経済最新講座

ちきりんさんの推薦から、フェルドマンさんの本を読んでみた。

縦書きの日本語で書かれているが、今までの日本語ではない。まず答えが書いてある。

多くの知識に裏打ちされた見解を惜しげもなくまず書く。そこから始まることを知っている。自分の頭のゴミを断捨離したい気分にさせられた。

熊本とかブログに書いてらっしゃったので、なんか少し感性を突き詰めていくタイプかと思っていた。テレビ東京ワールドビジネスサテライトで見たことはある。

知性の塊のような人だと感じていた。

選挙の一票の格差をすぐ解決できる方法がある。それは人数に合わせて係数をかけ合わせるといいという発想だった。凄いなあと思ってた。その通り何も直す必要はなく全国一律に一票の価値を同じにすることができる。このITの時代誰でも瞬時に1票の価値を同じに出来る。なぜやらないのか?やる気がないからだ。ぐうの音も出ない。

 

『聲の形』買ってみた。

近頃、手話や要約筆記をやっている。

漫画の『聲の形』が人気らしい。

全く知らなかった。①と②を読んでみた。

涙が止まらない。その理由はなにか。

人は点であり、繋がらない。毎日、点として一生懸命生きているけどいつまでも点のままである。そこが悲しい。生きることのギリギリ描いている漫画。そこを受け入れるかどうかはまた人それぞれで。それは、点のままってことかな。そうやって私は受け入れがたいと言い続けることが個の独自性だとしたら人間ってなにをやっているのだろうかと思う。でも、何でもいいから仲良くしたいかって言われると違うなあ。

私の譲れないものは一体なんだろうか。わかってほしいって、何も言わずにそんなことありえない。ではどうやって繋がったり、線や面にそして立体になるんだろうか。

ギリギリで生きているんだなあ。まったりと暮らしたいけど、どんよりにごりたくい。機嫌よくやって行きたいものだ。問題はいつもやってくるけどやり過ごしたいなあ思う。少しは自分を表現しよう。黙っていても何もはじまらないや。

言いたいことは言うということだ。やりたことはやるといいうことだ。

あなたは、バレている。いくら隠していると思っていても。

 

 

 

 

佐々木俊尚著『家めしこそ、最高のごちそうである。』

佐々木俊尚さんはどこへ向かっているのだろうか?

ホントのところよくわからない。

この本は、才能を無駄遣いしているかとも受け取れる内容だ。

しかし、生きることの豊かさをかんじさせてくれるいい本だと思った。

中身は、元気な人が食べる食事だなあ。

お年寄りが食べるには、なまに近い食材が多くて消化するのは難しそうだ。

幾つか参考にしたい点があった。

調味料は良い物を使うというのは真似したい。

それ自体は料理を圧倒的に美味しくなるはずだ。

楽しんで料理をして食べるという一連の内容生きることを楽しむことの基本にあると言う点は賛成だ。

 

 

 

囲碁の呉清源さんが亡くなった。

佇まいが好きで、長い間ファンだった。気品とはこれか、知性とはこれかと、その姿で体現してくれている方だったと思う。私には、囲碁といえば呉清源さんというイメージだった。

100才で亡くなられたそうだ。

なんとなく訛りのある話し方も、高い声も雰囲気に合った様子がチャーミングだった。

こうやって一つのことに、一生懸命生きていることはこんなに魅了的なことなのだと思わせてくれた。人生とはかくあるべしという見本だった。

ご冥福をお祈りします。

『ICHIROUYAのブログ』

時々ブログの内容に惹かれて見ている。

今日は『55才になってしみじみ感じること』の中で

お金より時間、所有より経験、自分が納得する方を選ぶなどは、同意だ。

波風を立てないために、簡単にYESというなかれ。

NOというというところは私もこれから心してやっていこうと思う。

惰性で生きて行くことにNOと言いたい気持ちはいつもある。

自分の基準で生きていきたい。それ以上でも以下でもない。