阿修羅像
「啓翁桜」毎日見ていると枝の先迄しっかり花を咲かせてくれて、さらに緑の葉も、本当にありがとうという気持ちになる。
来月奈良博物館の快慶展を見て、隣の興福寺で阿修羅像に会いに行こうと思っている。
『応仁の乱』がよく売れているらしいので本屋で立ち読みしようと思った。まずは、興福寺の別当の日記から書かれている。南北朝時代の理解はあやふやだったので、興味深くこの本を買ってしまった。
何気なく阿修羅について調べているとNHKで
3月23日(木)午後10時から90分番組がある。
阿修羅像は、ファンが多い。顔立ちや姿に仏像という概念を忘れさせてくれるものがある。
時代を超えで私たちを魅了する。
アンテナを立てていると、繋がってるなあと感じる。
江戸琳派の美 抱一・其一とその系脈
(別冊太陽 日本のこころ244)
京都細見美術館の鈴木其一展も19日まで。
鈴木其一。酒井抱一の弟子で江戸琳派を代表する絵師。亡くなったのは1858。歌川広重と同じ年コレラで死亡。
アメリカ艦船ミッドウェーがシナを経由して日本に来たとき、江戸にコレラを持ち込んだらしい。
『文明の崩壊』のジャレドダイヤモンド著を思い出した。コレラに対して免疫のない日本は、当時防疫体制も整っているとは思えず、ひとたまりもなく発病したであろうと想像する。
多くの人々がコレラに罹りなす術もなく命を落とした。それから思うと現代は、様変わりしていると思う。
安政の大獄とか、飢饉とか、しかし戦いに明け暮れた戦国時代から見ると江戸時代は落ち着いて生活出来たであろう。
今の時代の利点を喜んで豊かに生きていく術を心得たい。生活に追われて良さを享受できないのでは残念だ。
『媚びない人生』
『媚びない人生』ジョン・キム著
1.内面的な革命を起こす
社会に革命を起こすことは難しく、時間がかかるものだ。しかし内面の革命は今この瞬間にスタート出来る。社会や他者に媚びないと自らを鼓舞し、真に自由な人生を生きるために、その革命に挑んで欲しいと私は考える
内面とは「感情」「思考」「言葉」「行動」の4つで構成される。自分の感情を自分でコントロールできているか。論理的思考を含め思考で負けないか。難しい言葉を使わず、説得量のある形で言葉を操れるか。思いを行動に移し結果を受け入れそこから学び自らを成長させられるか。
2.不満を成長の糧にする
たとえ不満の原因が自分の外にあったとしてもその原因を自分の中で見つけるクセをつける。それは自分を悪者にするということではない。不満を自分の原因の昇華てきたなら、その時不満は不満出なくなるからである。例えばおかしな上司がいる。、それを不満にして吐き出してしまうのは簡単である。しかし、それを一度抑えてみる。上司に対する不満の原因は何かを自分の内側で考えてみる。
3.自分にとって理不尽は相手にとっての合理
社会に出たばかりの頃は理不尽だと思うこと不条理だと思うことにたくさん遭遇すらと思う。まず理解しておくべきは理不尽、不条理なものは実は他者にとっては合理的な選択だということである。、自分の価値を測るものさしから見れば合理的であるのだ。
4.ネガテイブな感情を自覚する
実はネガテイブな感情は居場所を、与えられて表に出されると、極めて居心地が悪くなる性質を、持っている。ならば、その習性をしっかり理解してきちんと正面から向き合ってやればネガテイブな感情は逃げていく。どうするかというと例えば嫉妬でも焦りでも妬みでもいいのだがそれを感じたときにネガテイブな感情を自覚することである。できるなら言葉に出してみるのである。
5.自分だけの山を見つける
社会に出たら人生における山をいかにうまく自分で見つけられるかところから勝負が始まると私は考えている。みんなと同じ高い山を登ることは創造性が求められる今の時代もはや大した意味はない。なぜならそれは所詮すでにある山だからだ。むしろ誰も登ったことのない山を見つけ登ることこそ今は求まられているし挑戦しがいのある山なのだ。
6.成功や失敗は「結果」ではなく「瞬間」にある
成功というものがどこかに形として存在していると思い込んでいる人がいる。しかし、人生の成功は他者ではなく自分が決めるのだ。自分が今最善を尽くしているのであればそれは何よりの成功である。逆に頑張らねばならない時にだらしなく過ごしているときはたとえ結果が出ていようと失敗であるを成功や失敗は結果にあるのではなく常にこの瞬間にある。その瞬間が連続となった状態に幸せな人生があるのだ。
言葉に強さがあると思う。
自分を信じて今この瞬間を生きることだ。
内面の革命は今起こすことができる。
蕪(かぶ)
水彩画。
全然違うなあ。