『京の庭を巡る』重森三玲著 東福寺光明院波心の庭より写し

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東福寺本山方丈の作庭中に、山内の光明院住職、横幕滴泉老師は、本山の作庭のついででなくては、二度と作庭に依頼ができないと考えられて、本山作庭中に、光明院作庭にことを依頼された。その着手は昭和14年9月19日で11月19日に完成した。

この光明院は、四派の一院、南明院の開山金山明咏禅師の開山で、明治以降極度に荒廃していた。滴泉師が入寺された当時は、雨傘をさして書院にはいったとはなされたほどの荒廃振りであった。それを師の苦心で、本堂を再建され、この庭に努力されたのであった。

もとより光明院とて、右のような状態であったから、本山同様に私の奉仕的作庭であった。

当時幸に、勢多から黒石の庭石が出たのを、小田種四郎氏によって搬出してもらった。施工は

戸島敬三氏で、私の初期の作品が東福寺本山と共に山内に残ったことを、何より幸だと思っている。