『二十二社朝廷が定めた格式ある神社22』島田裕巳著
日本全国には登録している神社だけで8万5千とか。登録のな小さな神社まで数えると10万を超えるらしい。
この頃は、お寺や神社に行くことが楽しみになってきました。神や仏への信仰があるわけでもご利益を期待するわけでもないけれど、この歴史残してくれたものを見てみたい。
1039年後朱雀天皇の制定で国家の重大事、天変地異に奉幣使を立てた神社として22社あげられている。
上七社
伊勢、石清水、賀茂(上賀茂・下鴨)、松尾、平野、稲荷(伏見)、春日
中七社
大原野、大神、石上、大和、廣瀬、龍田、住吉
下八社
日吉、梅宮、吉田、廣田、祇園(八坂)、北野、丹生(川上)貴布祢
最近は、四国八十八箇所や西国三十三箇所と同じように二十二社巡りも盛んになっているらしい。
厳島神社が選ばれなかったのは平家が源氏に滅ぼされたことが原因らしい。
この二十二社が意味をなさなくなったのは、
明治。官幣大社となった十七社と官幣中社になった梅宮、貴布祢、大原野、吉田、北野と別れた。
伊勢神宮は、常に神社の筆頭である。
第二の皇祖神となった八幡神を祀る石清水八幡宮、第三の皇祖神今木神を祀る平野神社。豪族の祖を祀る賀茂氏の賀茂神社、秦氏の松尾大社、伏見稲荷、藤原氏の春日大社が上七社となった。
八坂神社については祇園社と呼ばれていて興福寺や延暦寺の末寺でもあったのだ。神仏分離により八坂神社となる(明治元年)。
多くの歴史が私たちに多くの影響を与えている。来歴は知らずとも神社やお寺を見に行こうと思う気持ちには、知らずに支配されていた長い歴史の断片があるような気がする。