『テレビは見てはいけない』苫米地英人著PHP新書2009

脱奴隷の生き方

テレビは見てはいけない。洗脳装置である。

しかしキーホールTVもサイゾーにも興味は無い。

先日『闇の脳科学 完全な人間をつくる』を見てこの本のことを思い出した。

(書評サイトのHONZの仲野徹さんの書評参照)

脳科学は、知らないうちに人間をコントロールできるようになっている。電極によって同性愛者を異性愛者に作り替えるお話から始まる。

 

日本のジャーナリズムは、個人を追求するが、本来は、システムの悪を追求すべきである。

お笑い番組はコストが安い。大人が見るべき価値のある番組は無い。

ディスカバリーチャンネルは良い。

多面的視点を持つ。立体的複眼的な視点でテレビを見ると世の中の見方自体が立体的複眼的になる。インターネットは選択肢^_^が多すぎて、特定のサイトしか見なくなる弊害かある。

テレビは新規参入を許さない閉鎖的な世界。

英語を学ぶことで世界がわかる。

あらゆるカルチャーは、最初ごく少数のマニアックな人たちが始めて、それが口コミによって広がりやがてメディアに載ることで多くの一般大衆のコンフォートゾーンに受け入れられ社会に定着する。

死んだら生まれ変わるとか来世は存在すると言うオカルト思想やスピリチュアルな思想が、日本の自殺者をは増している。

夢を殺してしまうドリーム キラーは、親の確率が高い。

スコトーマ(心理的盲点)興味のあるものしか目に入らない。自分にとっての重要度を基準に世界を分類し、重要度が高いものしか見えないように出来ている。自分の安住するコンフォートゾーン(快適に生活できる外部環境)から外れたところにあるものは、重要度が低いため見えなくなっている。

マニュアルの従ってその通りに行動作用とするのは「空間における化粧」。優美な立ち居振る舞いや話し方を心がけ、マナーか従って生きましょうというのは自分を情報空間でメークアップして、ある決まった価値観に人より早くしっかりと適応しなくてはならない。

儒教は支配者にとって都合の良い奴隷を作るための教え。

何かしら他人に「こうしたほうがいい」と言われたらそれが本当に自分したいことかどうか考えてみるべき。盲目的に受け入れていると知らず知らずのうちに奴隷状態に置かれる危険性がある。そうした奴隷状態がむしろ楽になってしまうことが問題。コンフォートゾーンは他人に選ばせるのではなく自分で選ぶと、人生が少しずつ自分のものになっていく。

マナーとは相手を慮ること。

ルールは法律。

ネクタイはスコトーマの象徴。

他人に信頼されるための条件は、何よりも本音で生きることだ。他人に迷惑をかけない範囲で自分のやりたいように好き勝手に生きてみよう。

人間が本当に欲しいものはお金では手に入らない。愛情、信頼、尊敬。自分やりたいことをやろう。

人間の目の解像度は3000万画素。

アインシュタインエジソンアスペルガーだった。脳内世界に生きるタイプが多い。ジョブスやビルゲイツ

自分のためではなく他人のために尽くすことが人間の本性。

この世に読まなければならない空気はない。

白人のキリスト教徒以外は人間では無い。そのためアメリカが戦争を起こす。

政治は金そのもの。ほとんどの現代日本人は貧乏。騙されて長時間働き詰め。

真に意味のある投資は教育。

金融の仕事は単にお金を刷るだけ。

自分のアウトプットを他の人のアウトプットに変えるような活動にしていくべき。

一人一人が当たり前のように偉い、一人一人の価値は自分で決めてよく、誰が上でも誰か下でもない国になるべき。

 

洗脳されずに自分の頭で考えられるようになりたい。